2009年2月19日木曜日

溺れる子供。泳ぎ自慢の大人。

 もう、だいぶ以前のことになったが、なぜ人を殺してはいけないの?という中学生の質問を、ある文芸雑誌が大特集で取り上げていた。質問は、神戸の少年殺人事件を扱ったテレビ番組のなかで、ひょいと出たそうである。そこに居合わせた賢そうなインテリが、誰も質問に答えられず、番組は唐突に終わった。そのことが、衝撃を与えたというのだ。

 こういうことおを、肩いからせて話題にしたがる者は、インテリしかいない。したがって雑誌特集は、インテリがインテリ向けに個性的見識を競い合うという、いっそう喜劇的な外観を呈した。版元はこれで儲かり、誰も迷惑は蒙っていないというのだから、むろん私が文句を言う筋合いのものではない。

 川で溺れる子供を助けようと、泳ぎ自慢の男衆がたくさん飛び込んだ。でも、彼らはそれぞれの泳ぎの型で野次馬から喝采を浴びるのに熱中し、当の子供を見失った。そういう話が、太宰治の『ロマネスク』という小説にあったが、溺れている子はいないという点で、この話と雑誌特集とは違っていた。

 (『倫理という力』 前田英樹)

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